和風月名の一つに文月というものがありますが、弥生や皐月と比べるとなんとなく地味な印象が強く何月なのかと問われると返せない人も多いでしょう。
そこで今回は、文月の読み方から由来や語源、そして意味や風習を解説し、その時期に行われているイベントや行事についても解説いたします。
わかりやすい風習やイベントと結びつけることでイメージのしやすさも格段に上昇します。
文月とは?読み方は?
文月の読み方は「ふみづき」または「ふづき」です。
読み方も特別難しいものはありませんので一度見たら間違えることは少ないでしょう。
問題はこの名前から何月を表しているのかが想像しにくいところにあります。
文月は何月?語源は?
文月とは新暦の7月に該当します。
ただし、新暦と旧暦では1カ月程度の誤差がありますので語源からくるイメージと自分たちの7月のイメージがかけ離れていることもあるでしょう。
語源は7月7日ある七夕で、短冊に歌や願い事を記載する行為そのものと言われております。
この短冊に歌や願い事を込めるという行為から「文被月(ふみひろげづき、ふみひらきづき)」と呼ばれるようになり、短くなって文月になったといわれているのです。
文月の意味や由来
基本的に文月の意味は先ほど記載したように7月7日にある七夕向けに短冊に歌や願い事を記載したことからスタートと言われております。
それ以外にも陰暦の7月はお米の収穫が近くなり稲穂が膨らむようになることから「穂含月(ほふみづき)」や「含月(ふくむづき)」と呼ばれており、そこから変化して「文月」になったという説もあるようです。
また、その稲穂が膨らむ様子を随時確認する時期なので「穂見月(ほみづき)」と呼ばれており、そこから派生したというお話もあります。
今のところはこの七夕由来の考え方が語源とか表す意味として捉えられているのですが、この七夕という行事が日本に広まったのは奈良時代に入ってからなのでその頃にはこの文月という言葉があったという説も相まって、由来になっていないのでは無いのかという指摘をする人たちもいます。
文月の風習や習慣は?
文月に今でも残っている風習と言えばやはり七夕でしょう。
元々この七夕は古代中国や昔の日本で非常に大切にされていた五節句の一つで、「たなばた」ではなく「しちせき」と呼ばれていました。
つまり、「七夕(しちせき)の節句」だったのです。
ちなみに、この五節句は1月7日の「人日の節句」、3月3日の「上巳の節句」改め「桃の節句」、5月5日の「端午の節句」、7月7日の「七夕の節句」、9月9日の「重陽の節句」となっており、今の日本人的に馴染みがあるのは桃の節句と端午の節句と七夕くらいでしょう。
これらの五節句の考え方は今から1500年前の中国唐の時代からすでに存在しており、日本では奈良時代に伝わって一部の宮中で行われる特別な行事という扱いになりました。
七夕と言われると織り姫と彦星を思い出すでしょうが、新暦とは1カ月程度のずれがあるので星を見るチャンスは7月7日では無く8月7日ぐらいが正解となります。
この七夕も諸説ありますが、読み方なども考慮すると最も有力な説は日本の古い儀式の一つである「棚機(たなばた)」からきているのではないのかという説でしょう。
この「棚機」とは神事を行う女子を選び、その女子を「棚機女(たなばたつめ)」として、清らかな水辺に作られた専用の「機屋(はたや)」で神に捧げるための着物を織るという行為です。
ここで使われた装置が「棚機」でこの漢字の読み方から「しちせき」と読むのでは無く「たなばた」と読むようになったと言われているのです。
また、中国では七夕の節句で織り姫(こと座のベガ)は織女星と呼びこの星に祈ると機織りや裁縫が上達するという風習が存在し、7月7日に祈るのが当たり前となったのです。
そこから裁縫以外にも様々な芸事や書道などの上達も願うようになり、最終的には願い事を書いてお祈りをする日という扱いになります。
それに、古代中国でも織り姫彦星のお話はしっかりと存在し、一年一度のめぐりあいの日と考えられていたのです。
ただし、二人が再会すると疫病が蔓延するから雨乞いをする風習が発生した地域もあったようで、考え方はバラバラでした。
これらの話が奈良時代の日本に伝わると七夕の節句も宮中行事の一つとして直ぐに溶け込み、平安時代には7月7日は星を眺めながら様々なアワビや桃や梨等を供えて音楽などを楽しむ日となったのです。
もちろん、願いをすれば叶うというお話も伝わっていたので神聖な木とされていた梶の葉に、サトイモの葉にたまった夜つゆを墨で溶かして願い事や和歌を書くようになりました。
そして江戸時代になると徳川幕府が五節句を祭日として日本全国に伝えたので、五節句そのものがどのような日なのかが瞬く間に庶民に伝播します。
ただし、梶の葉を大量に用意することは庶民ではできませんので、代わりに五つの色の短冊を使って、それに願い事を書いて笹竹につるす今の形に変わったのです。
今の日本でも残っている桃の節句とか端午の節句の考え方は昔の徳川幕府がアレンジしたものを広めてそこからさらに庶民がアレンジしたものとなっているので、古代中国の五節句とは考え方もやり方もだいぶ異なっているのです。
ちなみに、この短冊は万物は木・火・土・金・水の五つの要素からできているという中国の五行説が元となっており、そこから緑・赤・黄・白・黒の短冊を使うようになっています。
それ以外にも巾着や紙衣といった七夕飾りがありますが、それらも意味がきちんと存在しているのです。
紙衣は何らかの災いがあったときの身代わりになってくれると言われていますし、巾着は金銭運上昇効果があると言われております。
網飾りは漁業の投網として考えられており大漁祈願や豊作を願う飾りです。
くずかごは整理整頓と節約ができるようになると考えられており、千羽鶴は家族の長寿を願って飾られる代物となっています。
文月にある主な行事は?
七夕以外の主な行事は土用の丑の日や夏休みのスタートでしょう。
あとは暑中見舞いやお中元を行うシーズンでもあります。
海の日もありますので、マリンスポーツが好きな人達は海の日に行われるそれらのイベントで盛り上がれる日にもなります。
土用の丑の日はうなぎを食べるのが鉄板ですが、日本うなぎは絶滅危惧種に指定されるなどトラブル発生源となっていますので、今の日本では喜んでうなぎを食べるという人も減っているようです。
文月の別名や異名(異称)
文月は旧暦では秋という扱いになります。
そのため、異名や別名では秋にちなんだ名前の物もチラホラあるのです。
たとえば「初秋(しょちゅう、はつあき)」という言葉も実は7月を表す文月の別名となるでしょう。
秋になると夏の暑さも和らぐことから「涼月(りょうげつ)」と呼ばれることもありますし、織り姫彦星による再会にちなんで「愛逢月(めであいづき)」と呼ぶことすらあります。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は文月について詳しく解説しました。
織り姫彦星による再会のお話は中国でもかなり根強く存在しているのですが、考え方の違いが出てくる部分でもありますので今はどのように伝わっているのかを比較するのも面白いでしょう。
日本ではとりあえず願い事を書いてお祈りをする日というイメージがありますが、昔はだいぶ異なっていたのです。
この七夕がある月が文月と結びつけられれば直ぐに連想できるようになるでしょう。
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