和風月名の一つに霜月と呼ばれる物がありますが、和風月名の中でも馴染みが薄い霜月は一体今の何月に該当するのかがわからない人も多く、読み方もちょっと怪しいという人もいるでしょう。
そこで、今回はこの霜月とは一体何月なのかを記載して、その由来や語源、意味はどうなっているのか、その時期にある風習や習慣、そしてイベントはないのかを調べて参ります。
霜月とは?読み方は?
和風月名の1つである霜月の読み方は「しもつき」となります。
特にひねった読み方ではありませんので、霜という漢字が読めれば間違えることはほぼないでしょう。
ちなみに、この霜月という名前は日本海軍の駆逐艦の名前でも使われているので、なんとなく聞いたことがあるという人はそちらから音を拾った可能性があります。
霜月は何月?語源は?
霜月は11月です。
しかし、旧暦は新暦と1カ月程度ずれていますので、気候や温度の表現も1カ月程度ずれた物と受け取ってください。
つまり、この霜月を表す言葉はほとんどが12月の気候を表すものということです。
霜月は文字通り「霜が降りる月」になります。
つまり、「霜降り月」という表現が短くなって「霜月」に変化したという考え方です。
霜月の意味や由来
11月の霜月を表す意味は文字通り霜が降りる月となります。
特に難しいことはないでしょう。
霜が降りるような季節を連想すれば自動的に冬が思いつきますし、そこに新暦と旧暦では1カ月ぐらいずれているという考え方が浮かべば暗記していなくてもある程度どの時期が当てはめられるようになります。
それ以外の由来としては10月を満ち足りた数と考えて、その月を一つの区切りとして「上な月」と表現し、その次の11月は「下な月」になりそこから変化したという説もあります。
他には旧暦の11月に行われていた新嘗祭で感謝を示しながら収穫した物を食べることから「食物月(おしものつき)」と呼ばれていて、そこから変化したという説もあるようです。
霜月の風習や習慣は?
11月に行われる歴史ある習慣と言えばやはり「新嘗祭」でしょう。
1873年から1947年までこの新嘗祭を行う11月23日は祭日に認定されていたのですが、1947年によって廃止された後に勤労感謝の日へと変わっております。
第二次世界大戦で負けた日本はアメリカのGHQ監視下の元色々と改革することになりましたが、特に国家神道の経路が強い大祭や祭日はなくすように指示されたので、新嘗祭や秋季皇霊祭といった祭日が亡くなったのです。
元々、この新嘗祭は天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈るために行われる宮中祭祀の一つだったので、大祭に認定されて祭日扱いされていたのですが、今でも宮中での祭祀として行われているのです。
2013年12月23日、明仁天皇が80歳の誕生日を迎えた時に宮内庁が初めて新嘗祭の様子を映像で公開したことがあり、そのときは非常に話題になりました。
新嘗祭の内容を簡単に記載すると宮中にある「神嘉殿(しんかでん)」において天照大神と天神地祇(テンジンチギ:全ての神々のこと)に初穂をお供えし、天皇自らもこの初穂を召し上がることで新穀で神様をもてなすという意味と食した天皇陛下が新たな力を得ることで次の年の豊作祈願をするといった内容になります。
今でもこのような祭祀が宮中行事としてしっかりと残っているのです。
この新嘗祭の起源は諸説あるため定かではありませんが、日本書紀によると皇極天皇がこの新嘗祭を行ったという記載があるので642年頃に行っていたと言われているのです。
万葉集にもこの新嘗祭にまつわる和歌がありますので、古くから行われてきた祭祀であると言うことがよくわかります。
実に1300年以上続いている祭祀なのです。
応仁の乱といった朝廷の窮乏によってこの祭祀を行えない時期もありましたが、江戸時代に入ってある程度時代も安定すると再び行われるようになりました。
どうやら東山天皇が1688年に新嘗御祈という名前で再開したようです。
日本の祭祀やお祭りにも色々とありますが、旧暦から新暦に変わることで開催時期をずらしたものもあります。
しかし、新嘗祭もそのずれを治すために移動させるとギリギリで翌年の1月に突入してしまうので、新嘗祭の本質である「今年の収穫を感謝する」という意味を揺るがすということで大きくは動かせませんでした。
そのため、大きく動かすことはなく11月の2回目の「卯の日」に行うという考えとなり、それがたまたま11月23日だったので、そこから23日にずっと行われるようになったのです。
ちなみに、名前までなんとなく似ている神嘗祭と新嘗祭がごちゃごちゃになってしまう人も多いので要点をまとめておきましょう。
神嘗祭は10月17日に行われる初穂を伊勢神宮におわす天照大神にお供えして五穀豊穣を感謝する祭祀で、新嘗祭は11月23日に行われる天照大神や天神地祇に初穂をお供えして五穀豊穣を感謝したあとに天皇陛下がその初穂を召し上がる祭祀となります。
捧げるお祭りと一緒に食事をするお祭りという違いがあるのです。
昔は新嘗祭の日までは新米を食べてはいけないと言われていたのですが、今ではもっと簡単に稲刈りができるようになり新米ももっと早く手に入るようになったので現実的ではなくこの風習はほとんど廃れたと考えていいでしょう。
新嘗祭以外に古くから残っている風習と言えば11月15日に行われることが多い七五三です。
七五三とは3歳と5歳と7歳の子供の健康と成長を願って行われる神社への参拝です。
この七五三も元々は江戸時代に行われていた関東圏の地方風習だったのですが、一気に広まって今では全国で行われるのが当たり前の風習となりました。
ちなみに、なぜ15日なのかというと諸説ありますが旧暦の15日が二十八宿の鬼宿日、つまり鬼が出歩くことができない日と言われていたので、そのタイミングを狙って始まったと言われております。
新嘗祭がある月は元々収穫への感謝を行う月でもありますので、その感謝もかねて子供の成長期願もするようになったのでしょう。
霜月にある主な行事は?
11月に行われる行事として七五三と新嘗祭以外のものとなった場合は、文化の日にまつわるものが基本となるでしょう。
文化の日には美術館や博物館が無料になることが多いので、今まであまり足を運んだことがないという人は無料期間と言うことで一度見に行ってみることをおすすめします。
やはり七五三と新嘗祭がイベントとしては今でも大規模なので、それらのお参りや祭事が11月の中心となります。
霜月の別名や異名(異称)
11月を表す霜月は旧暦では神無月に続いて冬を表す季節なので、この神無月や冬にまつわる異名や別名が多くあります。
具体的には「仲冬」という冬の真ん中に来るという意味がそのまま別名として使われていたり、神無月で神様が出雲に出かけていたのが帰ってくる月になるので「神来月(かみきづき)」とか「神帰月(かみきづき)」と呼ばれています。
また11月は日本各地で収穫を祝う祭りが開かれており、その際に神様に奉納する舞や歌である「神楽舞」が盛んに行われていたので、11月を「神楽月(かぐらづき)」と呼ぶこともあります。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は霜月について詳しく解説いたしました。
霜月は新嘗祭や七五三がある時期なので、それらのイベントについて詳しく理解している人ならば問題なく覚えられるでしょう。
覚えにくいという方でも新嘗祭の祭日が勤労感謝の日となっているということを覚えておけば自然と浮かぶようになっています。
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